台湾の地下鉄から見る京都:留学生活を経て都市のスケールを感じ取る方法を改めて学ぶ
2026.05.01

ここ数か月、私は Study Kyoto のFacebookページに、いくつかの図を少しずつ掲載してきた。
図そのものは、実はそれほど複雑なものではない。台北・高雄・台中の地下鉄路線図を京都市の地図の上に重ね、ひとつの主要駅を基準点として位置を合わせ、縮尺だけを完全に一致させた。ほかには特に加工もしていない。

京都で暮らし始めたばかりの頃、私はこの街で「どこまで歩くべきか」をうまく判断できなかった。京都の街並みは確かに歩くのにとても向いているのだけれど、留学生活のさまざまな予定をつなぎ合わせて動くなかで、地図上の距離と、身体で感じる距離のあいだには、いつも言葉にしづらいずれがあった。
ところが、これらの図をネットに載せてみると、台湾から自分の予想をはるかに超える反応が返ってきた。
友人からは「ThreadsやInstagram、Facebookで誰かがシェアしているのを見たよ」とメッセージが届き、京都という都市のスケールを初めて具体的にイメージできたと言う人もいた。なかには「京都って、こういう都市だったんだ」とコメントしてくれた人もいる。
そのとき、私は少しずつ気づき始めた。
これは実は、京都だけの話ではないのかもしれない。むしろ、多くの人が経験しているのに、あまりきちんと言葉にされてこなかった問いに触れているように思えた。
私たちは、見知らぬ都市に足を踏み入れたとき、一体どんな「尺度」でその都市を理解しているのだろうか。
京都に来たばかりの頃、私がいちばん確信を持てなかったのは、実は「距離」だった。
京都で暮らし始めたばかりの時期、私は毎日のように、とても小さな判断を繰り返していた。
家を出る前、地図をしばらく見つめながら、いつも同じことを心の中で行き来させる。この道は、歩くべきなのかどうか。地図で見るとそれほど遠くないけれど、実際に歩いたら三十分くらいかかってしまうのではないか。もし電車に乗るなら、乗り換えのほうがかえって面倒ではないか。駅を降りたあと、結局またかなり歩くことになるのではないか。歩くことで次の予定に向かう体力に影響しないだろうか。あるいは、疲れて少しみっともない姿になってしまわないだろうか。こうした問い自体は決して複雑ではない。けれども日々の生活のなかで、何度も何度も繰り返し現れていた。
最初のころ、私はこれを単に新しい環境にまだ慣れていないからだと思っていた。もう少し長く暮らせば、自然とこの街のリズムがつかめるはずだと。ところがしばらく経っても、その違和感は消えなかった。ただ、別のかたちで残り続けていた。ある場所は、直感ではどうしても「少し遠い」と感じるのに、実際に歩いてみると、そこまで大変でもないと感じる。逆に、電車で行くのが合理的に見える場所でも、実際に乗ってみると、移動が細かく分断されてしまったように感じることもあった。
やがて私は少しずつ気づき始めた。これは京都特有の問題ではなく、むしろ私がもともと持ち込んできた「距離感」のほうが、この都市ではうまく機能していなかったのだ。
台湾で長く暮らしていると、私たちの距離の理解は実はとても具体的になる。地下鉄で何駅なら遠いのか、どの区間なら歩けるのか、どこからは乗り物に乗るべきなのか。こうした判断は、ほとんど考えなくても身体が自然に行ってしまう。この直感は、地下鉄を長く使い続けるなかで徐々に培われてきたものだ。駅と駅のあいだの距離は何度も確認され、身体に取り込まれ、やがて非常に安定したスケール感として定着していく。
ところが京都に来た途端、このシステムが突然うまく働かなくなった。地図は読めるし、目的地がどこにあるのかも分かる。それでも心の中で「ちょうどいい距離」を判断することが難しい。慎重すぎると移動は細かく分断され、予定はばらばらになる。逆に無理をして歩くと、一日の終わりには疲れが残る。そのどちらでもない中途半端な感覚は、実はとても根本的なところから来ていた。私はまだ、この都市に合った「身体の尺度」を見つけていなかったのだ。
こうした「尺度のずれ」は、すぐに挫折感をもたらすわけではない。けれども、少しずつ生活の組み立て方に影響を与えていく。必要以上に早く家を出るようになり、実際よりも多めの移動時間を見積もるようになる。もう一つ予定を入れるかどうか迷うことも増える。移動だけで体力を使い切ってしまうのではないかと分からないからだ。こうした細かな調整は、実のところ、まだ安定していない距離感を少しずつ修正しようとする試みでもあった。
そしてこの過程のなかで、私はあることに気づき始めた。都市を理解するということは、単にどんな名所があり、どんな路線があるかを知ることではない。むしろ、この空間のなかでどのように移動するのが自然なのかを、もう一度身体で学び直すことなのだ。
後になって、あの頃の自分の迷いの多い日々を振り返ると、それは実はとても必要な段階だったのだと思う。もともとの尺度がうまく働かなくなって初めて、人は自分がこれまでどのように「距離を使って生活してきたのか」に気づくことができる。そしてその気づきこそが、後に地下鉄路線図を京都の地図の上に重ねてみようと思いついた出発点になったのだった。

なぜ私は、地下鉄路線図を京都の地図に重ねようと思ったのか。
実際に私が作図を始めたきっかけは、ある日突然ひらめいたからではなかった。むしろ、自分自身が何度も言葉で京都の距離感を説明しようとして、いつもうまく言い表せなかったことにある。台湾の友人と話すとき、私は「実は多くの場所は歩いて行ける距離なんだ」と説明するのだが、相手はたいてい「それって、結局どれくらい遠いの?」と聞き返してくる。時間で答えてみたこともある。「だいたい二十分くらい歩くかな」と。でも、その数字自体は、そこに住んだことのない人にとっては、やはりとても抽象的なものだった。
そのとき私は思った。新しい形容詞をいくら探すよりも、むしろ誰もがよく知っているものを一つの「翻訳」として使ったほうがいいのではないかと。私にとって、そのいちばん直感的な道具が地下鉄だった。
私は地下鉄を使って都市の良し悪しを評価しようとしたわけではないし、どの都市のシステムがより進んでいるのかを比較するつもりもなかった。ただ一つはっきりしていたのは、私自身が地下鉄のスケールを非常によく知っているということだった。それは、ほとんど考えなくても理解できる身体的な感覚でもある。そこで私は、この慣れ親しんだ空間構造を、そのまま京都の地図の中に置いてみようと試みた。
作図のとき、私は意図的にいくつかの制約を自分に課した。まず、最も象徴的な一つの駅だけを基準として位置を合わせ、ほかの位置は調整しない。すべての都市で完全に同じ縮尺を用いる。そして、空白の部分はそのまま残し、埋めたり、美しく整えたりはしない。
私が見たかったのは、そのような条件のもとで、都市そのものがいったい何を語り出すのか、ということだった。
台北の地下鉄を京都に重ねたとき、多くの場所が突然「理解できる」ものになった。
最初に完成したのは、台北の路線図だった。
台北の地下鉄路線図を京都市の地図の上に重ね、台北駅と京都駅をぴたりと重ね合わせたその瞬間、私はしばらく立ち止まって画面を見つめていた。なぜなら、それまでどこか曖昧だった感覚が、一気に具体的な形を持ったからだ。それはまるで、「空間的な直感がもう一度校正されていく」ような経験だった。私は初めて、とても台北的な方法で、京都における日常の行動半径を理解したのだった。
大学に入ってからというもの、私はずっと台北と新北の都市圏で暮らしてきた。台北の地下鉄システムは、私にとってほとんど身体に組み込まれている尺度の道具のようなものだ。「三駅」がだいたいどのくらいの距離なのかも分かっているし、「一度乗り換える」ということが、どれくらいの時間や心理的・身体的コストを意味するのかも知っている。このように日常生活のなかで訓練されてきた空間感覚を、そのまま京都に当てはめてみると、それまで言葉にしにくかった違和感の多くが、突然比較できる言語を持ち始めた。
たとえば、台北の基準で見てみると、京都市中心部の活動範囲は、実は高度に圧縮された地下鉄主要エリアのようなものだと気づく。ただし、この主要エリアは地下鉄によって結ばれているのではない。その役割は、歩行や自転車、そして緻密で正確なバス交通に委ねられている。距離そのものが変わったわけではない。変わるのは、人びとがその距離をどのように「消化すること」を期待されているのか、という点なのだ。京都は決して距離が特別に遠い都市ではない。ただ、この都市は距離を急いで縮めようとはしないだけなのだ。
台北では、地下鉄は生活に積極的に介入するインフラである。道路が歩行者に不親切な状況下で、地下鉄は都市生活の主要な選択肢となっている。それは通勤時間を短縮するだけでなく、「毎日往復できる生活圏とは何か」を再定義してきた。私たちが当然のように感じている多くの地域間移動は、実のところ地下鉄があらかじめ距離のコストを肩代わりしてくれているという前提の上で成立している。

それに対して、京都は距離を地表に残す都市だ。人は自分の足で歩き、バスを待ち、時には遠回りをしながら、その距離と向き合うことになる。これは効率の問題というより、生活の編成の仕方の違いである。台北の路線図を使って京都を読み直したとき、私はもはや「なぜここには地下鉄がないのか」と急いで問いかけることはなくなった。むしろこう考えるようになった。距離を急いで縮めようとしない街では、生活はどのように組み立てられるのだろうか、と。
その答えは決して抽象的なものではない。日々の選択のなかに直接現れる。10分歩く距離を減らすために、目的地そのものを変えることがあるだろうか。帰り道が遠いからという理由で、一日を早めに切り上げることはあるだろうか。あるいは、「歩いて行ける範囲」のなかで生活に必要な機能をもう一度探し直すことはあるだろうか。こうした問いは台北ではあまり前面に現れない。地下鉄がすでにそれらを解決してしまっているからだ。しかし京都では、それらが毎日のように改めて問い直される。
だからこそ、台北の路線図を京都の地図の中に置いてみると、かえって二つの都市がそれぞれどのような選択をしてきたのかが、よりはっきりと見えてくる。台北は速度によって自由な移動範囲を獲得する都市であり、京都は距離によって生活の境界を保とうとする都市である。
そしてこの理解は、どこかの公式な都市計画図から得られたものではない。二つの都市を無理やり重ね合わせてみた、いくつかの生活地図から生まれてきたものだった。それは私に、都市の尺度とは単なる空間設計の結果ではなく、長い時間のなかで人びとがどのように移動することを学び、時間を組み立て、生活を想像するようになってきたのか、その蓄積なのだということを思い出させた。
その尺度が目の前に広げられたとき、多くの判断が突然はっきりしてくる。どの区間は歩くのが合理的で、どこからは乗り物に乗るほうが自然なのか。それはもはや単なる感覚だけに頼るものではなくなっていく。そしてちょうどその頃、私は気づいた。これらの図は、もしかすると私だけに役立つものではないかもしれない、と。
高雄バージョンは、多くの人に「見たい」と言われて初めて生まれた。
台北の図を公開したあと、実は私はすぐに次の図を作るつもりはなかった。けれども、メッセージが一つ、また一つと届き始めた。
ある人はとても率直に「じゃあ高雄はどうなるの?」と聞いてきた。また別の人は「台北の地下鉄にはあまり詳しくないんだけど、ほかの都市でも比べられる?」と言った。こうした反応を見ているうちに、私はある重要なことに気づき始めた。私たちはとても簡単に「台北の空間感覚」を標準のように扱ってしまうけれど、多くの台湾人にとって、それは決して日常的な基準ではないということだ。台北中心主義的な空間理解の仕方は、もしかすると大部分の人びとの生活経験を覆い隠してしまっているのかもしれない。
そこで私は、高雄バージョンを作ることにした。

今回は、美麗島駅を中心点として選び、それを京都駅に合わせ、高雄の地下鉄とライトレールを同じ図の中に重ねた。この選択自体も、私が高雄という都市をどのように理解しているかを反映している。つまり、高雄は単一の中心から放射する都市というより、複数の軸線が交差しながら形作られている都市なのだ。
作図の過程で、ある光景に私はしばらく立ち止まった。重ね合わせが完成したあと、高雄の地下鉄の北側の路線は、地図の端で少しだけ切り取られてしまった。一方で、左下の角には、何も描かれていない大きな空白が現れた。
その空白には、何の注釈も付けられていない。けれども、それはとても正直だった。そこは、高雄が海岸に沿って発展してきた都市であることを思い出させてくれる。地下鉄の路線図が海の中へ延びていくことはない。都市の境界は、もともとそこではっきりしているのだ。
そして、こうした構造を目にしたあとで改めて京都を見直すと、むしろその集中性がよりはっきりと感じられるようになった。京都の都市活動は、長い時間をかけて比較的コンパクトな範囲の中に収められてきた。生活機能、学校、寺社、市街地は互いに極端に引き離されることなく配置されている。
この高雄の重ね合わせの図は、私にとって単に多くの人の期待に応えたものというだけではなかった。それはむしろ、異なる都市が空間の上でそれぞれ何を選び取ってきたのかを、初めて比較的正直な形で見せてくれた図でもあった。
台中は、三つの中でいちばん長く迷った一枚だった。
台北が直感から生まれたものだとすれば、高雄は人々の反応に応える形で作られたものだった。だが台中だけは、何度も考え直した末にようやく手を動かした図だった。私が本当に行き詰まってしまったのは、一見とても単純に見えて、実はきわめて重要な問いだった。つまり、「台中の中心」をいったいどこに合わせるべきなのか、という問題である。

交通インフラの観点から見れば、高鉄台中駅はとても説得力がある。そこは地下鉄グリーンラインの終点でもあり、多くの人にとって台中に出入りする最初の場所でもある。しかし、カーソルをその位置に置くたびに、どこかしっくりこない感覚が残った。台中の街路構造は、地下鉄を軸に広がってきたわけではないからだ。中区、旧市街、主要幹線道路、商業活動の中心は、長い時間をかけて台中駅を核にしながら、ゆっくりと外側へ広がってきた。
地図を眺めると、台中の道路網は放射状とグリッドが交差する、はっきりとした形を見せている。そこには「まず街路があり、そのあとに交通手段が現れる」という都市のリズムがある。地下鉄グリーンラインの登場は、どちらかといえば後から発展した結節点をつなぐ役割を担っており、もともとの生活の重心を作り替えるものではなかった。
こうした理解に基づき、私は最終的に台中駅を基準点として選んだ。それはロマンチックだからでも、古いからでもない。そこに合わせることで、都市の中に時間の感覚を引き出すことができるからだ。
台中駅と京都駅を重ね、同じ縮尺で一枚の地図の上に置いたとき、私が見ていたのはもはや地下鉄路線の位置だけではなかった。そこには、都市がどのように組織されてきたのかという痕跡が浮かび上がっていた。
そして、その対比の軸線は、京都の空間的な論理をいっそう鮮明に見せてくれたのである。







